【読書中・2】雑文集/村上春樹
昨日寝る前に読んだ「余白のある音楽は聴き飽きない」というオーディオ雑誌に掲載されたインタビューの中の一節が自分の琴線に触れたので記しておく。
氏曰く、
- 若い頃は機械のことよりも音楽のことをまず一所懸命に考えたほうがよい。
- 若い頃は多少条件が悪くてもその時に聴いた本や読んだ本は勝手に心に沁みてくる、いくらでも音楽を心に溜め込んでおける。それは歳をとってから大きな価値を発揮する。
- 記憶や体験のコレクションはその人だけのものであり、世界にたった一つのもの
自分はもう若いというには微妙な立場になってしまったけど、今は良き音楽、良き本、良き映画をできるだけ多く身体に取り込みたいと思う。
特に映画は自分は過去の名作といっても興味を持たずにまだ観てないものも結構多いので。
氏が大学を卒業してからジャズの店を始めたというのは随分前から知っていたけど、7年も続けていたというのを初めて知った。文筆業に専念するために辞めてしまったらしいが。
CDにはCDの持ち味があり、レコードにはレコードの持ち味があると一方を貶めずに両メディアについて語っていたことに共感と好感を持った。
20160128_雑記
手足口を動かす作業はとりあえず今日で一段落、初見の人にいろいろ教えているとそれが自分にも「本当に理解しているか?」ということが跳ね返ってきているのを感じる。
そういう意味でもやはり他人は自身を映す鏡。
コスプレを始めるに至った動機について
当方2011年から活動を開始したレイヤーなのですが、なぜそれをするに至ったのかつらつらと簡単に書いてみる。思うがまま書き出してるのでぐちゃぐちゃです。
当時の大学の研究内に音楽をやっていたり、絵を描いていたり、小説を書いていたり、という創作をしている後輩が多くいたのでそれに触発されてというのが一番根底にあると思う。
それで自分も「何か創造的なことをしてみよう!」と思ったが、絵を描くにしても、音楽をするにしてもすでに活動をしている人がいたため「二番煎じだと思われたくない、他に周囲にやっている人がいないものでできそうなものはないか…」という生来の天邪鬼的な性分もあって、なんかやろうとして手を出したのが…コスプレである。
それは当時付き合っていた人がもともとそれをやっていたので、それにも触発されて…というのもある。(夏コミがデビューの場だったが、その前に関係は切れてしまった)
また、今まで創作者に対して「中二病www」とか「これ意味あんのかwww」と安全圏から好き勝手意見口出しをしていた自分自身に対してある時ひどく「恥ずかしさ」を感じ、「批判・口出しをするなら分野は違えど同じ土俵に立つべきだ」という思いが強くなり、創作者としてレイヤーとなることを決めた。
現在もレイヤーとしての活動を続けているが、やっててよかったと思うのはやはりこの活動をしていなければ出会えなかった仲間に出会えたこと。彼ら・彼女らとはイベントがないときでもたまに遊びや飲み出掛けたりしている。そしてそれは今でも続いている。
あとはあるライブイベント(レイヤーのイベントではない)で「これライブ会場でやったら面白いだろ!」と思って、思い切ってやったコスが局所的に反響があり地方から来た人と一緒に写真撮影をした際に「このイベントに来た甲斐があったわ!」といってもらったこと。これは今思い出してもレイヤー冥利に尽きるなぁと感動したのを覚えている。あとネタ系のコスをして「その発想はなかったわw」といって笑ってもらったり、メディアに撮影されてあとでニュース記事になっているのを見てその反響を見るのも面白いと思っている。
大げさな言い方かもしれないけど、自分が水面に投げた小石が波紋となって伝播し、それが他のところに伝わってその結果何が起こるのかを見ること、つまり自分がどういう影響を及ぼしているのかを見ることが何よりの楽しみになっているのかもしれない。
いつかは卒業する日が来るのかもしれない…けどしばらくは自分も楽しみたいし他の誰かに見てもらってその反響を得てみたい、そして新たな仲間と出会ってみたいと思っているのでレイヤー活動は継続します。
そしてレイヤーといったら話題を呼んだ(一部ではサイコホラー漫画と呼ばれている)あの作品を…
【うろおぼえレビュー・No.0004】WORLDILLIA/ポルノグラフィティ
- アーティスト: ポルノグラフィティ,新藤晴一,岡野昭仁,ak.homma
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
- 発売日: 2003/02/26
- メディア: CD
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ポルノのアルバム4作目、これは高校時代を通しても特によく好き好んで聴きまくっていた。聴いていて飽きのこない構成になっていて、曲順をすでに把握しているのに「次は何がくるのかな?」と毎回ワクワクしながら聴いていた。
曲順も含めてアルバム作品のトータリティが確立されていて素晴らしい。
シングル曲「Mugen」「渦」ももちろん素晴らしい楽曲だが、何よりもこのアルバムでポルノの一番の名曲(…と自分が思っている)「カルマの坂」が収録されていることが一番の収穫ではないだろうか。
貧しい少年が美しい少女と出会い、そしてあるきっかけによって少年は残酷な決断を…というのが大方の歌詞の内容だったと思う。
物語が歌詞の中で綺麗に完結していて、わずか数分の楽曲ではあるが目を閉じながら聴くと(物語の舞台や時代が曖昧にもかかわらず)その情景を動きをもって思い描くことができる。
この曲を初めて聴いて、作詞家として、そしてストーリーテラーとしての新藤晴一の才能の奥深さを思い知った。
また、その後に続く初のインスト曲「didgedilli」も新鮮でかつ格好いい。
このアルバムを最後にベーシストのTamaが脱退、それ以降はポップ色の強い楽曲が多くなって自分の好みから外れるようになっていった。
ポルノの持ち味・強みは「ロックとポップのバランスの取り方の上手さ・絶妙さ」だと思っていたので、Tama脱退からそれが徐々に失われていったのを見てその存在の偉大さを知る。ポルノの曲目をよくよく見直してみたら、自分の好きな曲の中にTamaさん作曲のものが多く含まれていることに気が付いた。
20160127_雑記
最近自分の普段の仕事では珍しく日中手足口を動かして仕事をしている、疲れを感じるが精神的なプレッシャーからは一時的に遠ざけられている。
アウトプットをすることで自身が本当に理解しているかを実感することができる、それを最近実感している。
一人で悶々と考えてるだけでは完全な理解にはつながらない、考えをノートに書くなどのアウトプットをするほうがよい、さらによいことはそれを自分の口で話すこと、話を伝える相手がいればなおよい。
アウトプットをして自身の理解を実感し、自信へとつなげていきたい。
CDアルバムを聴くということ
CDアルバムを聴くとき、自分はいつもランダム再生を使わずに順番に曲を聴くようにしている。
CDアルバムはその曲順も含めてアーティストの1つの作品だと思っているから、ランダムに再生することはその作品の世界観を滅茶苦茶にするように感じられてなんとなく敬遠している。
CDアルバムを聴くということは、ちょうど数時間で読める手頃なページ数の小説を読むことと似ている。小説もやはりランダムにページを捲って読んだりしないだろうから。
起承転結、コード進行でいうところのⅠ(トニック)→Ⅳ(サブドミナント)→Ⅴ(ドミナント)→Ⅰ(トニック)という進行と同様に、CDアルバムの曲順も概ねそのようになっていることが多い。まずアルバムの世界観への足掛けになるようなイントロダクションがまず一曲目に配置され<起>、その後は世界観を構成する核となる曲たちが並び(シングル曲やアルバムのリードトラックは大体この位置にくることが多い)、その世界観を受け入れて存分に享受しているところで<承>、アルバムの世界はそれを享受する者(すなわちリスナー)の期待を大きく裏切り<転>、飽くことのないように流れに起伏を作る。そして最後に世界観を包括的にまとめ上げるための結びの曲が配置されて<結>、アルバムは1つの作品として完結する。
CDアルバムを聴くということは、精神的な旅でもあるのかもしれない。